中小企業の事業承継について語られるとき、そのほとんどが後継者の育成や経営権の移転、従業員の扱い等に関する内容です。確かにこれらの課題は重要ですが、ある大きな視点が抜け落ちています。それは現社長の引退後の人生設計という視点です。
事業承継で忘れられがちな課題
多くの事業承継の話は、後継者への承継が完了すれば「おしまい」という扱いです。あたかも、現社長は会社を引き渡したらさようならというような、冷たい印象さえ受けます。しかし、考えてみてください。社長には引退後の人生があります。会社を引き継いだ後も、生活があり、時間があり、そして何より生きがいが必要なのです。
実際の現場でも、引退後の生活について不安を感じる社長は少なくありません。ある製造業の社長は、「毎日朝から夜まで、一日中仕事のことを考えて生きてきた。それが急にすることがなくなるのは正直怖い」とおっしゃっていました。建設会社の社長も、「仕事は娘夫婦でやっているからそちらは心配ない。ただ譲ると無職になってしまうんだ」と漏らされていました。
現社長の第二の人生にも目を向けよう
事業承継において重要なことは、会社を後継者に承継することと同時に、現社長の第二の人生を設計することです。この二つの計画は、車の両輪のようなものです。片方だけでは、うまく前に進むことができません。
第二の人生の選択肢は、実は多岐に渡ります。一つ目は、これまでできなかった新規事業に挑戦するという道です。建設会社の社長は、引退後に自身の趣味である園芸を活かした造園業を始めました。「今までは会社全体の責任を背負っていたので会社としての手間や採算性を考えて踏み出せなかったが、引退を機に自分の好きなことに思い切って挑戦できる」と前向きな表情で語ってくれました。
地域貢献に注力される社長もいます。長年地域で商売をしてきた方々は、その地域への思い入れも人一倍です。商店街の活性化や地域の伝統産業の保護など、これまでの経験と人脈を活かして地域に貢献する道を選ぶ方も少なくありません。
また、完全に引退して趣味の世界に生きるという選択肢もあります。ある運送会社の社長は、「若い頃から写真が好きだったが、休みの日でも仕事のことが気になって没頭できなかった。これからは思う存分カメラに向き合える」と、写真展の開催を目指して活動を始めています。
早めに動くほど選択肢が広がる
ここで大事なことは、できるだけ早い段階から第二の人生について考え始めることです。若いうちから計画を立てておけば、それだけ選択肢は広がります。新しい分野に挑戦する場合、その分野について学んだり、必要な資格を取得したりする時間的余裕が生まれます。
先ほどの造園業を始めた元社長も、引退の5年前から休日に仲間の造園業者を手伝いながら、必要な技術を取得していました。「年齢を重ねると新しいことを覚えるのが大変になるので、早めに動き出して良かった」と振り返っています。
年齢による選択肢の違いも意識する必要があります。50代での引退であれば、新規事業への挑戦も十分に可能でしょう。しかし、70代での引退となると、体力的な面から選択肢は限られてきます。だからこそ、できるだけ早い段階から第二の人生について考え、準備を進めていく必要があります。
配偶者への配慮も大事
もう一つ重要なのは、第二の人生の計画を立てる際には、配偶者の意見も聞くということです。ある元社長は「毎日家にいられても」と配偶者に言われ、計画の練り直しを迫られたそうです。「自分が楽しいだけでなく、家族も納得できる計画でないと長続きはしない」と教えてくれました。
事業承継は会社にとって重大な転換点です。しかしそれは同時に、現社長にとっても人生の大きな転換点となります。だからこそ、会社の承継計画と同じくらい真剣に、第二の人生の計画を立てる必要があります。それは決して付け足しの計画ではなく、現社長の新しい人生を支える重要な設計図なのです。
これまでの人生のほとんどを会社の経営に捧げてきた社長。その第二の人生をより充実したものにするために、後継者の育成と同じくらい真剣に考えていかなければなりません。