人気取りの政策は、ヴァレリウス個人のためでもありましたが、結果的には生まれたての共和制を維持することに役立ちます。
体制移行で王政時代には無かった様々な問題が噴出しており、ローマ人の一致団結が必要な時期でした。
第一に、それまでは向上しかなかった国力が低下します。
王政時代には、大規模な国内開発とそれに伴う商工業の発展がありました。しかし、王が追放されたことで、王と同じエトルリア系のローマ人の立場は微妙になります。
体制変更により、居心地の悪くなった人がいなくなることは世の常ですが、ローマの場合は優秀な人材が流出することになります。
国力の低下は威信の低下につながり、ローマと同盟していた周辺部族までが動き出します。
加えて、王の追放は大国エトルリアを完全に敵に回してしまいます。エトルリアには追放された王を元に戻すという大義名分までありました。
民心懐柔による一致団結から国庫の確保、経済対策、移民受け入れと、ヴァレリウスは危機に対応します。支持基盤を固めてからやることはしっかりとやっています。
やることさえやっていれば支持は後から付いてくるという考えの方もいますが、成果はなかなか出るものではありません。
大衆の気は短いもの。成果が出るまで待ってくれるとは限りません。
ローマが共和制に移行してから6年後、ヴァレリウスは亡くなります。
裕福だった財産もなくなっていて、遺族は葬式も出せない状態でした。
ローマ人は一人ずつ金を持ち寄り、彼の葬式を挙行します。
共和政はブルータスによって種がまかれ、ヴァレリウスによって根付きました。
共和制という意味では、共和制を最初に掲げた創業者ブルータスと、それをシステム化した二代目ヴァレリウスという解釈もできます。
(参考図書) 持ち運びしやすい文庫版がお勧めです。
(Amazonリンク)
・ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫) 塩野七生著