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【歴史に学ぶ第8回】王政の終わり

 

創業期には一人のトップが中央集権的に行った方が効率良く、王政でローマは発展しました。メンバーに対する一時の人気取りに走る必要がなく、長期的な構想をもって統治ができた。

しかし、メンバーの数が増えてくると利害関係を調整する機能が必要になります。創業期には阿吽の呼吸で伝わるメンバーが多いですが、色々な人が社内にいるようになると調整が必要になります。

 

六代目・セルヴィウスの死後、野心家・タルクィニウスが王になります。

王となった彼は、先王派の元老院議員たちを殺害。

元老院に助言を求めることも、市民集会に賛否を問うこともしませんでした。

 

人びとは王のことを「尊大なタルクィニウス」とあだ名し、陰口を叩きます。

しかし、タルクィニウスは軍事的な才能には優れていました。また、技術と経済に優れるエトルリア人との関係が強かったため、それ以上のことはできなかったのです。

 

会社でいえば尊大で問題の多い社長ですが、営業面では才能があってよく契約を取ってくる。しかも、親戚には有力者がいるようなものでしょうか。

 

しかし、25年に及んだ彼の治世も、後期には陰りが見えはじめます。

後ろ盾がぐらつき始めたことに加えて、息子のスキャンダルがとどめになりました。

それまでくすぶっていた王への不満は爆発し、市民たちは王の追放を決定します。

 

戦場で変事を知った王はただちにローマに向かいますが、城門は閉ざされたままでした。王は自分に従う兵だけを連れて亡命します。

 

 これ以降、ローマは共和制の時代に入ります。市民集会で選ばれたにしても任期は終身の王の時代から、任期は1年と短い二人の執政官が統治する時代を迎えました。

  

 

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