創業期には一人のトップが中央集権的に行った方が効率良く、王政でローマは発展しました。メンバーに対する一時の人気取りに走る必要がなく、長期的な構想をもって統治ができた。
しかし、メンバーの数が増えてくると利害関係を調整する機能が必要になります。創業期には阿吽の呼吸で伝わるメンバーが多いですが、色々な人が社内にいるようになると調整が必要になります。
六代目・セルヴィウスの死後、野心家・タルクィニウスが王になります。
王となった彼は、先王派の元老院議員たちを殺害。
元老院に助言を求めることも、市民集会に賛否を問うこともしませんでした。
人びとは王のことを「尊大なタルクィニウス」とあだ名し、陰口を叩きます。
しかし、タルクィニウスは軍事的な才能には優れていました。また、技術と経済に優れるエトルリア人との関係が強かったため、それ以上のことはできなかったのです。
会社でいえば尊大で問題の多い社長ですが、営業面では才能があってよく契約を取ってくる。しかも、親戚には有力者がいるようなものでしょうか。
しかし、25年に及んだ彼の治世も、後期には陰りが見えはじめます。
後ろ盾がぐらつき始めたことに加えて、息子のスキャンダルがとどめになりました。
それまでくすぶっていた王への不満は爆発し、市民たちは王の追放を決定します。
戦場で変事を知った王はただちにローマに向かいますが、城門は閉ざされたままでした。王は自分に従う兵だけを連れて亡命します。
これ以降、ローマは共和制の時代に入ります。市民集会で選ばれたにしても任期は終身の王の時代から、任期は1年と短い二人の執政官が統治する時代を迎えました。
(参考図書) 持ち運びしやすい文庫版がお勧めです。
(Amazonリンク)
・ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫) 塩野七生著